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えちごトキめき鉄道「親不知駅」まで送迎いたします

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駅からホテルまで送迎約8分

駅からホテルまで送迎約8分

名勝・天下の嶮「親不知・子不知」

名勝・天下の嶮「親不知・子不知」

JR北陸本線親不知駅を中心とした、青海・市振両駅の間約15kmの総称。
親不知・青海の間を「子不知の難所」、親不知・市振の間を「親不知の難所」と呼び、
北アルプスが日本海に落ちる北端、古来より北陸道の最大の難所として知られています。

親不知
親不知名の由来って?

親不知・子不知の名の由来については、いくつかの説があります。

親不知・子不知の名の由来については、いくつかの説があります。

〈由来の説/その1〉

波打ちぎわを通るときに、親は子を忘れ、子は親をかえりみる暇がなかったことから 「親しらず・子しらず」と呼ばれるようになったといわれています。

〈由来の説/その2〉

「寿永の昔、壇ノ浦で滅びた平家の一族池大納言平頼盛は、死ぬべき命を敵の源氏に助けたれたが、 京童の悪評にいたたまらず、おのが領地の越後の蒲原の五百刈村へ隠れた。 この夫をしたって奥方もまたこの天険を通りかかり、ふところの愛児をさらわれた。」 悲しみのあまりよんだ下記の和歌によって、「親不知子不知」と天下の険を呼ぶようになったといわれています。

親しらず子はこの浦の
波まくら越路(コシジ)の磯の
あわと消えゆ

展望台にある「親不知海岸の模型」

模型
大懐

天然の岩の窪みで波を避ける避難所。大懐から大穴までを長走りといい、海岸最大の難所です。 大穴も天然の避難所で、ここに一週間も閉じ込められたという旅人の記録もあります。

走り込み

ここから西へは「走り込み」といい、もう安心して歩いていける場所です。

旅人は、ここで親不知 子不知の通行の無事を祈りました。

波除不動

東から来た旅人は、ここは「浄土」のようだということで、この名がついております。

展望台にある「親不知海岸の模型」

模型

ホテル周辺の観光案内

ホテル周辺の観光案内

左右の〈矢印ボタン〉をクリックすると、
観光情報が表示されます。

  • ウォルター・ウェストン


    「日本近代登山の父」と呼ばれるウォルター・ウェストンは、明治時代、未踏の地であった日本アルプスを探検、
    著書「日本アルプス 登山と探検」を通じて世界に紹介。
    このような機縁から、当地を訪れた33歳の当時の風貌がしのばれるブロンズ像が設置されています。

  • 如砥如矢


    旧国道の絶壁に「如砥如矢」という、1m四角の大文字が刻まれています。
    明治16年、ここに国道が開かれたのを記念しており、当時の青海村長・富岡磯平の書といわれています。
    国道が開かれるまでは命がけで通行をしていたため、その喜びを表し砥石のように滑らかで矢のように早く通れるという意味で刻まれています。

  • 登山


    海とアルプスを直結。親不知の断崖から、北アルプスの朝日岳(2,418m)に伸びる栂海(つがみ)新道は
    国内唯一、山から海へ、また海から山へと縦走できる登山道です。

  • 松尾芭蕉ゆかりの地


    市振市内の長円寺境内には、「奥の細道」に所収される句の句碑が。
    また、「奥の細道」の旅で芭蕉と曽良は親不知の海岸を歩いたとされております。

  • 翡翠


    色は深緑色で半透明。縄文時代から宝飾品に使われていた歴史を持ちます。
    古代より護石(まもり石)とされ、災いや厄より身を護ってくれると云われています。
    宝石言葉は「長寿、高貴、健康、徳」。プレートが沈み込む場所でしか産出されないヒスイは、日本ならではの美しい宝石です。

  • 親不知レンガトンネル


    親不知レンガトンネルと親不知コミュニティロードが遊歩道で結ばれました!
    全長は約670m。100年以上前のレンガ造りを見ながら、散策することができます。

■ 栂海新道へ入山・下山されるお客様へ
(必ずご確認ください) ■

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