JR北陸本線親不知駅を中心とした、青海・市振両駅の間約15kmの総称。
親不知・青海の間を「子不知の難所」、親不知・市振の間を「親不知の難所」と呼び、
北アルプスが日本海に落ちる北端、古来より北陸道の最大の難所として知られています。
親不知・子不知の名の由来については、いくつかの説があります。
親不知・子不知の名の由来については、いくつかの説があります。
波打ちぎわを通るときに、親は子を忘れ、子は親をかえりみる暇がなかったことから 「親しらず・子しらず」と呼ばれるようになったといわれています。
「寿永の昔、壇ノ浦で滅びた平家の一族池大納言平頼盛は、死ぬべき命を敵の源氏に助けたれたが、 京童の悪評にいたたまらず、おのが領地の越後の蒲原の五百刈村へ隠れた。 この夫をしたって奥方もまたこの天険を通りかかり、ふところの愛児をさらわれた。」 悲しみのあまりよんだ下記の和歌によって、「親不知子不知」と天下の険を呼ぶようになったといわれています。
親しらず子はこの浦の
波まくら越路(コシジ)の磯の
あわと消えゆ
天然の岩の窪みで波を避ける避難所。大懐から大穴までを長走りといい、海岸最大の難所です。 大穴も天然の避難所で、ここに一週間も閉じ込められたという旅人の記録もあります。
ここから西へは「走り込み」といい、もう安心して歩いていける場所です。
旅人は、ここで親不知 子不知の通行の無事を祈りました。
東から来た旅人は、ここは「浄土」のようだということで、この名がついております。
天然の岩の窪みで波を避ける避難所。大懐から大穴までを長走りといい、海岸最大の難所です。 大穴も天然の避難所で、ここに一週間も閉じ込められたという旅人の記録もあります。
ここから西へは「走り込み」といい、もう安心して歩いていける場所です。
旅人は、ここで親不知 子不知の通行の無事を祈りました。
東から来た旅人は、ここは「浄土」のようだということで、この名がついております。
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